理解と机上の空論の違い

今週は大天使ガブリエルの週です。なので彼がもつ意味のもう少し

クリエイティブ・書くことについて考えていきたい。

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それは結果として何か作ることによって誰かの反応が欲しい、誰かと

話がしたい、等。そして書くことはほぼイコールとして誰かと話が

したいことに直結していることがある。まさに対話の世界。直接

誰かと向き合って会話していることも対話であるなら、今私が行ってる

みたいに不特定”少数”に向かって書いているのも大きく言えば対話。

誰かと話をしているのである。ただ言葉を発する側が注意しなくては

ならないことは今自分が相手に発してる言葉は果たして相手の理解を

促しているかということ。

 

 

大天使ガブリエルが手に掲げている花はユリの花。ユリの花は純粋さと

真理のシンボル、そして彼は一人ひとりの絶対的な「個」を大切に

しようと伝えてくれる。なら本当の意味で誰かと真剣に、真摯に

向き合ってもいい時期なんじゃないだろうか。普段真摯に真剣に向き合う

時はなにかしらの照れが潜んでいたりするのだけれど、今週はその

照れを感じなくてもいいくらいの後押しが大天使ガブリエルから力添えを

いただけそう。誰か気になる人がいるというのなら今週がその向かい合う

時期です。

 

 

ただ相手の事を自分の思い通りに動かしてやろうとか思うと大きな痛手を

もらうはめになってしまう。それは相手に理解してもらおうというより

机上の空論を相手に繰り返している可能性がとても大きい。机上の空論を

叫んでいてもだれも心が動かないのは自明の理。まるで本を読んでるみたい

に聞こえるという感想が相手から来たら、あなたの言ってる事が机上の空論

である可能性がとても高い。では理解と机上の空論との差はどこにあるのか、

そこにあなたが語ってる世界を支配するルール=原理を語っているか

ということを常に確認しながら話すのが理解への第一歩、そして

もう一つ共通のカテゴリを利用して懸命に、顕著に相手に対して理解を

求めているか、相手への理解への道筋を作って伝えようとしているか、

その作業を怠けてないか、その点を今こそ振り返ってみる時期だと

感じる。

 

 

相手が大事であるなら大事であるほどに言葉が深く浸透していくのは

この作業を怠らないからだと個人的には思う。